【大地のシンフォニー_エレファントカシマシ】いつもの日々に疲れた心へ染み渡る

エレファントカシマシ

大切だからこそ時に苦しい、「いつもの日々」

日々を生きること。簡単なようで、辛いことも苦しいこともたくさんありますよね。いつもの日々、変わらない日々。そうそう特別ではないけれど、繰り返して行く日々。

命に関わる危機的状況にある…わけでもないかもしれない。

一分一秒が血反吐を吐くほどに辛い…ほどではないかもしれない。

圧倒的な悪意にさらされている…ということなんて稀なのかもしれない。

絵に描いたような苦境、苦難、困難とは言えないけれど、それでも辛く苦しく戦う日々。

現代ならではの、日々を生きる上での苦しみという物がありますよね。そんな普通の日々こそ幸せなんだよ、そういう日々を大事にしなければいけないんだよ。そんな声があちこちから聴こえては来るけれど。しんどい物はしんどいわけで。

そんな「ナニモノカ」と日々戦わなければならない時。エレファントカシマシの歌は、隣にそっと寄り添ってくれます。

とてつもない苦難を前にしなくても、日々に少し疲れてしまった時だって、優しさに包まれたい。

名曲の百貨店、エレファントカシマシの『大地のシンフォニー』。しっとりと、ゆっくりと、心に染み込んで来る名曲であります。

いわゆるバラードに類するこの曲。エレカシのライブで繰り出される音はレベチ!というのはバラードでも同じく、であります。しっとりと、ゆったりとした楽曲であろうとも、そこへ乗せられる迫力は圧倒的なものです。

音の端々を聴けば、バンドサウンドの旨味もまた豊潤なのですよ。アコギが印象的なイントロだって、ここぞという所で重ねられるエレキギターの音色の何と艶っぽいことか。

マーチのように刻まれるドラムもまた、MVの映像でも感じられるように「日々を歩いて行く」イメージのこの曲を一層引き立ててくれます。

毎度の展開ではありますが、「そもそも楽曲のポテンシャルがえげつない」ところへ、必殺の歌詞が、言葉が重ねられていく。こんな神曲が、心に響かないわけもなく。

演じて来たん「だろう」 似合わない役割を

エレカシの楽曲に載せられる歌詞からは、あちこちにこれでもか!というほどの強烈なメッセージ性を感じてしまいますのでね。日が暮れてしまう前に、今回も個人的に突き刺さったフレーズを選んでみます。

演じて来たんだろう 似合わない役割を

表現者。アーティスト。ロックバンドが放つこの言葉は、色々な重みがありますよね。アーティスト、ひいてはロックバンドだなんて、「これこそが俺だぁ~!」と叫び続けるのが人生、みたいな部分もあるわけじゃないですか。

40年以上生きていれば、そんなことばっかりでもないよな、なんてことはさすがに解っているつもりでは居るけれども。エレカシの初期の雰囲気だったり、比較的近年になって本人達から話されるエピソードであったりを聴く限り、色々な事情があったのだろうと邪推してしまいます。

孤高のロックバンドとも言える「あのエレカシですら」そうなのですから。いわんや我々一般人の人生をや、ということですよ。

なんで自分がこんな役回りをやっているんだ。自分は本当はこんな事はやりたくないんだ。無理に無理を重ねて強がっているけれど、ホントは今すぐにでも投げ出したいんだ。私自身、いつもそう思っていた気がします。

その一方で、「あのひとは楽そうで良いなぁ」「なんであのひとはあんなやり方をしているんだろう」「あんな生き方が許されるなんて…自分であっちに行きたいよ」なんて。自分以外の周囲に対しても、不平や不満を感じていました。

けれども、自分もみんなも、望まずして「たまたまそこにあった役割」にハマっちゃっただけなのかもしれません。誰も、本当は望んでいない。思うように生きられているわけじゃない。

数えきれないほどのひとが集まって不思議に出来上がる「社会」の中では、神様の意思なのか偶然か、色々な役割、ポジションのような物が自然と創られていく気がします。働きアリの法則然り。リーダーの器かどうかに関係なく、集団が出来れば誰かしらがリーダーになっていく物であったり。

そうやって出来上がった謎のポジションに、誰もが「こんなはずじゃないんだけどな」と思いながら群像劇を演じさせられているのかもしれません。

つつがなくやってるさ 相変わらずだけど

そう口ずさみながら、日々を生き抜いていくしかないんでしょうかねぇ。

【エレファントカシマシの楽曲はこちら】

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