【Son of pain_Rhapsody of fire】壮大な悲しみの幕引きを体感せよ!

Rhapsody(of fire)

この壮大なる伝説の終わりを、君は見たか?

界隈では「カレーライスは美味しい」レベルの普遍的な世の真理として広く知れ渡っている「ヘヴィメタルのバラード曲はガチ」案件でございます。

ヘヴィメタルというのは、何事も「やり過ぎてこそメタルだ!」なところがありまして。ここぞという物にはどこまでも突き抜ける、やり過ぎってくらいにやっちまえよ!精神がありましてね。

壮大なバラードを壮大にし過ぎて、もはやジャンルの枠を飛び越えたパターン。

結構あるんですよ。

ヘヴィメタルにオーケストラや色々な要素を足した「シンフォニックメタル」の「シンフォニック味」をどこまでも追求し、鍋でコトコト一週間煮込み、樽で三年熟成させましたよ?と言わんばかりの行き過ぎてしまった「素晴らしい最高のやらかし」。

あのエメソで知られる「Rhapsody」がちょっとだけ改名したRhapsody of fireが送るSon of pain。これからヘヴィメタルを聴くぞ!と意気込んで再生したが最後。え?これってメタルなの?と疑いたくなること間違いなし。

もしやこの曲は物語のエンディングというレベルに納まらず。もはや伝説の終焉を語るかのような壮大さ。

そして今回は、なんだか物凄いクオリティの歌ってみた的なcover動画がYouTubeにあったので是非共有したい。そりゃあさ、この曲を、こんだけのクオリティで唄う能力があったなら…唄いながら泣いてまうわね。

やり過ぎなければたどり着けない、壮大さの境地

やり過ぎるって良いですよね。

ついつい飲み過ぎちゃったり、食べ過ぎちゃったり。日々の筋トレで追い込み過ぎちゃったり、楽しくて我を忘れてはしゃぎ過ぎちゃったり。

いやいや、確かに冷静に考えれば良くない事ばかりですよ?何事もほどほどに生きるのが良いというのも事実ですし、過ぎたるは及ばざるが如し、なんていうありがたい言葉だってある。けれども、何かをやり過ぎてしまうというのは時に楽しい!不完全な我々人間が生きる上での、人生の醍醐味の一つではないでしょうか。

Rhapsody of fire(以下ラプソディと表記しますね)と言えば、シンフォニックメタルの雄。敢えて愛を持って呼ばせてもらいたい、厨二全開ファンタジーメタル、と。

卓越した音楽技術を持ってさ。現代の世の中でよ?真顔で「伝説のエメラルドソードを探し求める」なんて音楽を演れる時点で、只者ではないですよ。自分の想いを貫き通しながら、更にその結果として、数えきれない人々をその想いで感動させているという事実。

そんな、ファンタジー世界から飛び出して来たようなラプソディ。

アルバムのラストは、やっぱり壮大なエンディングだよなー。

伝説の物語を締めくくるような、スケールの大きさが必要だよなー。

となると、やっぱりオーケストラバックの壮大な曲が良いよねー。

そして出来上がったのがこの曲。もうメタルちゃうやん?ガチムチのオーケストラですやん?

さすがだなー、と思うのはこの思い切りですよ。

いくらシンフォニックと言えどそこは『メタル』。いくらシンフォニック路線で突き詰めるぞ!と思ったところで、オーケストラの壮大さとギターサウンドの調和を求めたり、一番美味しいところはちゃんとギターが担ったり、あくまでもメタルを中心としがち。

いやいや、本来はそうあることが普通だし、そうあるべきではあるんだけども。それどころか、バンドサウンドは何とバッサリカット!アルバムとしての世界観や楽曲のクオリティをどこまでも追及して仕上がったのがこちらの楽曲です。そりゃあ…唄えば泣いちゃうよ。

この曲を存分に楽しむシチュエーション

ここまで来ると、これはもうオーケストラホールで聴きたくなるような楽曲ですよ。それはまぁ簡単ではありませんのでね。勝手なイメージで、大学教授がリッチな書斎で聴くような、高級なステレオで大音量で再生したいですよね。

高級ソファーに身を沈めちゃってさ(持ってないけど)

シャム猫を膝に抱えてさ(飼ってないけど)

チーズやナッツみたいな、高貴でお洒落なおつまみと共にさ(ナッツと言えばせいぜい柿ピーよ)

高級ワインでも傾けながら(飲んだことないけど)

ゆっくりと週末の夜を過ごしてみたいものですよ。優雅な時を過ごせば優雅な人生が送れるというもの。楽曲に相応しい生活。送ってみたいなぁ。

まぁ現実は、ちゃぶ台で、冷凍のホルモン焼きをレンチンで、発泡酒で乾杯ですけどね。楽曲の旨味は変わらないさ!(涙目)

【Rhapsody (of fire)の記事はこちら】

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