【DEATH STRANDING_プレイレビュー】配達がこんなに楽しいものだなんて…!!

DEATH STRANDING

ゲーム概要

DEATH STRANDING(デスストランディング、以下デススト)は、メタルギアシリーズで有名なあの小島プロダクションが作成したゲーム。発売は2019年の11月でした。

あまりにもメタルギアシリーズが有名だったこともあり、そこから大きく方向性を変えた…というよりも全く新しいと言っても良いデザインのゲームが爆誕したということでも有名となりました。

ストーリーに於いても、ゲームプレイに於いても、メインに据えられた要素は「配達」。依頼を受けた荷物を指定の場所へ配達することがゲームプレイのほぼ全てにあたり、それによってストーリーも進行していくという形。

正に言葉通りの「おつかい」をするゲームとも表現が出来る。昨今のゲームに於いて「おつかい要素」というのは時に忌み嫌われることもあり、単純作業を延々とさせられるのは退屈だ、と感じる方も多いことでしょう。この「おつかい要素」をメインに据えてしまおう!という逆転の発想で作られた、何ともチャレンジングなゲームでもあります。

こんな「おつかいをするためのゲーム」が果たして面白いのか?というような切り口で紹介されることの多いこのゲーム。2023年現在、続編制作が決まっていることからも解る通り、ユーザーからの評価は総じて「バリオモロ」であったことは言うまでもありません。

巧みにデザインされたゲームプレイ

ここからは実際にプレイしてみての感想なんですが、そもそも自分的には事前情報の内から何の違和感もありませんでした。自分のようなゲーム黎明期から生存していた中年としては、ですよ?

そもそもゲームとは、架空の世界でお使いやタスクを楽しくこなすもの、であるわけで。

設定されるルールに従ってスコアを積み重ねていく。

ダンジョンに延々と潜り続けて、レベル上げとアイテム発掘を無限に楽しむ。

新しい街へ行き、コツコツとレベルを上げて装備を整えてボスを倒し、そして次の街へ進む。

そんなプレイスタイルが日常でありましたから、様々な依頼を受けて、様々な配達、タスクを延々と繰り返して行くゲームなんて、そりゃ面白いに決まっているわけです。

とはいえ、近代に於いてはゲームには様々なエンターテイメント性が付加されていますのでね。時には感動的な物語が、時には爽快なプレイ感が、時には圧倒的なグラフィック、時には至高のゲーム音楽が展開されることが「前提として」期待されているので、少々事情は異なるのでしょう。

しかしそこは天下の小島プロダクション。「ゲームをデザインする」という技術が抜群なのですよ。

やり込む程に解放される要素と、適度にリセットされるバランス

なぜ「おつかい」がつまらないのか?それは単調になってしまうから、ではないでしょうか。逆に「おつかい」をしながらも着実に進化していくことが体感出来るならば、「おつかいで脳汁が出まくる」というゾーンに入ることが出来るわけです。

この辺りが特に巧妙にデザインされているのです。舞台はいわゆる「崩壊した世界」になるので、道なき道をその足で歩いて行くのが基本スタイルとなります。

与えられた条件、新しい土地に向けて、道なき道を進む。そこには工夫の余地が多分にあります。

どのルートを選ぶのか?

どんなサポートアイテムを利用するのか?

今までの経験から、どんなアクシデントが想定されるのか?

ただ荷物を運ぶ、というシンプルな行動のために、様々なゲーム要素が仕込まれています。そしてこの難易度が絶妙!色々考えたプレイも可能だし、ある程度の脳筋プレイも許容される。押し通るように進めることも可能な上、工夫したらしたで気持ち良い。自分に合った難易度とスタイルで自然とプレイ出来るような作りになっています。

けれども、こんな事を延々と繰り返していれば、当然しんどくなってくるわけで…

そこでゲームでお馴染みの要素、やればやるほどに「俺強ぇモード」が解禁されていくのです。初めは崖にハシゴを掛けて進んでいた道も、なんと道路の上をバイクで進むなんていうチート行動も可能になるのです。どんどん強くなっていく。どんどん効率化していく。

面倒くさい「おつかい」を、やればやるほどに強化されていく環境。正にレベル上げの概念ですよ。ゲームが好きなひとならば、この一連の作業で脳汁が出ないわけはないんです。

ただ一方で、こうなってくると別の問題が出てきます。俺強ぇ!が行き過ぎて、ゲーム全般が退屈になってしまうパターン、という物がありますが、これもまたバッチリ対策済。

ストーリーに矛盾の無い範囲、且つ行き過ぎないバランスで、適度にリセットされていく。

簡単に言うと、次のステージに進めば「ある程度」の要素がリセットされるんです。このリセットの度合いもまた絶妙で、例えば「バイクは今まで通り使える」けれど「道路は無いよ」みたいな感じ。

このバランスのおかげで、「また初めからやり直しかよ」にもならないし、「今までのレベル上げ無駄じゃねぇか」にもならないのです。しかもそのリセットされる理由が、しっかりとストーリーで裏付けされた説得力のある理由であること。リセットされる行為に違和感なく受け入れることが出来るのですよ。

いやぁ、巧妙だ。

そして小島プロダクションのゲームであるからして、そのストーリーは大変に味わい深い物であります。当然、そのストーリーを目当てにゲームプレイするという方も多いでしょう。そんな方にとっては、あまりに練られた膨大なゲームプレイ要素が、若干重荷になってしまうこともあるでしょう。

この辺りは近年のゲームでお馴染みのやり方ですが、ストーリーを進めるためには最小限のクエスト消化でok、やり込みたいひとはたっぷりとクエストが用意されている、という形になります。とはいえ、サブクエはやらないでいいじゃん?とはならない程度に重要ですし、やればやるほどにゲームプレイも快適になって行きます。

もちろん、中年ゲーマーの私は、あらゆる解放要素を着実にこなして行きました。こうなってくると「あれ?ストーリーって何だっけ?」になりがちですが、しっかりと謎は仕込みつつも複雑怪奇になり過ぎないストーリーでしたので、その辺りもバッチリ、と。

いやぁ、巧妙だ。

配達がメインですよ…と言いつつも、多様に用意された要素達

クエストの目的は「指定の場所に」「指定の物を届けること」ではあるのですが、その道中には様々な要素が散りばめられております。

そのひとつがミュールの存在。

「配達依存症」なる者達が、荷物を求めて襲い掛かって来ます。彼らから時には逃れ、時には撃退し、時には荷物を取り戻していく必要があります。

配達依存症という言葉を聴いて、「は?なんだそりゃ、無理矢理設定乙」と思われるかも知れません。私も思いましたよ、始めはね?

それがゲームも進んで来ると、素材や落とし物配達目当てで、ミュールの拠点からの物品回収にいそしむ自分が居るわけです。フル装備に身を固めて、「ミュール」と呼ばれる人間集団に対して、非殺傷とはいえ、自ら進んで襲い掛かって行くわけ。

あー。今、荷物欲しさに武器を片手に襲撃している…自分、ミュールやんか。

この現象、絶対製作者側が意図して仕込まれているんですよ。製作者側は、「自らがミュール化してふと我に返るプレイヤー」をにやにやして見ているわけですよ。

いやぁ、巧妙だ。

このミュールはいわゆる「敵役」を担ってくれます。一定範囲の縄張りに侵入するとこちらへ襲い掛かって来るのですが、撃退や逃げ切ることが面倒であれば、そもそもそのエリアを迂回してしまえば大丈夫。

撃退するにしても、ステルス的な攻略もあり、投擲武器や拘束機器、重火器感覚での制圧も可能となっており、これまた様々プレイスタイルを許容してくれます。

更にはBTと呼ばれるホラー的な要素も存在しており、これもまたこのゲーム特有の要素としてストーリー、プレイ体験に大きく関わって来ます。

姿が見えない存在から様々な要素を駆使して逃れて行く、という正にホラゲー的な側面。こうして画像で見ると中々に怖いですね。実際にプレイしていると、ホラゲーみたいな「怖いよ~」という恐怖まではいかないものの、捕まってしまうと「うわっ」と肝を冷やすような感覚はありました。

こちらもまたゲームプレイに対して主張し過ぎないバランスとなっており、ミュールと同様に対象エリアを迂回することも出来ますし、ストーリーが進んでいくほどに対応手段も増えて行きます。

いわゆる大型モンスターとの対決的な要素もあるんですが、これはストーリーの限られた部分で相対する以外は必須の要素ではありません。サブクエまで隅々までプレイしていた私も、実はこうした敵といつでも戦える要素がある、ということに気が付いたのはクリア後にググって初めて知りましたよ。

こんな感じで、ゲームを多彩にする要素は数あれど、かなり自由度が高く、好きじゃない要素は進んでプレイしないという選択だって自然に選ぶことが出来る。

いやぁ、巧妙だ。

あくまでも「ゲームというエンタメ」用に練られた秀逸な物語

ストーリーそのものについてはまた別記事で見て行くのですが、いわゆる世界観や設定について。これがまた本当に秀逸に感じました。感動的!とかそういうことではなくて、

全てのストーリーや設定は、ゲームを楽しいプレイ体験することを最優先に練られている。

このゲームでは『デスストランディング』や『BT』といった独自の用語、独自の設定、独自の世界観が設定存在します。そうした設定の一つ一つが、しっかりとゲームプレイとリンクしている。ゲームプレイが面白くなるために、より世界観に説得力を持たせてプレイに没頭させるために、練られている。

これまでに挙げて来たミュールやBTという存在。

例えば、ミュールは非殺傷武器で制圧する必要がある、ということ。

荷物の損傷や時雨という現象が引き起こすこと。

カイラル通信という設定の特性や、それによって出来ること。

こうした設定の一つ一つが、本当にストーリーそのものだけではなく「ゲームプレイ」についても密接に絡み合っている絶妙な設定でありました。

当たり前だけど、制作者チームはおもろいゲームを創ろうとしているわけで。一番のポイントはゲームが面白いこと。ゲームをプレイするという体験が素晴らしいものになること、が最重要ミッションとして掲げられている。

一時期のゲーム評価にありえる「グラフィックは良いけど、ストーリーは良いけど、ゲームプレイ部分はイマイチだな」とか。そういうことは有り得ないんです。ゲームプレイ部分を面白くするために、その他の要素があるんだから。

ある意味当然な骨組みを当然のように組み上げるこのやり方。色々なことが出来てしまう現代だからこそ、難しいようにも思えるんですよ。心から「ゲーム」が好きな人がゲームを作っているんだなぁ~と感じられる喜びがありました。

そしてこうして練られた世界観は、一般常識から大きく外れたフィクション、創作、当然として空想の物語ではあるのだけれど。

映像のすさまじさ、設定の作り込みの綿密さ、様々な要素が絡み合った結果、とんでもなく「妙にリアル」「まるで現実」と錯覚させるようなスケール感なのです。空想と事実が丁寧に編み込まれ、ちゃんとした「架空の理論」に基づき構築されているからなのか、物語で語られる詳細過ぎる内容をしっかりと読み込んでいると…

そうかー、昔の地層からそんな物が発掘されたんだねぇ…いやいやいや!これゲームだから!

と「はっ!?」とさせられることが多かったです。

ストーリーの「お話」の部分についても、あっと驚く伏線もあったり、謎が謎を呼ぶような要素もあったりしたけれど、それが「練られ過ぎていない」ところも個人的には好みでした。

考察したくなる物語、という物が非常に多い中で、この物語のバランス感覚は実に見事。あれこれと楽しく想像、考察したくなる点はたくさんあるけれど、「お話」としてはしっかり種明かしもされていて、もやっとする部分がない。

そして小島監督と言えば…物語に胸熱要素がないわけがない!メタルギアシリーズでも、メタルギアやら愛国者やらの難しい設定はありつつも、常に胸を打って来たのは登場人物達の壮絶な「生き様」でした。

今回はチャプター名称のほとんどが登場人物の名称であるように、キャラクターの1人1人に丁寧に焦点を当てて描かれています。敵か?味方か?そもそも敵と味方、善と悪の線引きなんて出来るのか?という点は今作も健在。

逃れることの出来ない大きな流れの中で、それぞれがそれぞれの立場で全力で生き抜いた結果、物語は進むんだけれど。振り返ってみれば、果たして何が正しくて何が過ちだったのか?誰にも解らない。

そんな中、私の『涙腺』を強烈に刺激したキャラクターは「ダイハードマン」でした。物語の全編を通して大きく関わって来た重要人物。その背景や物語も確かに魅力に溢れていたんだけれども、

大塚明夫という『演ずる者』の圧倒的な破壊力がこちらの涙腺を爆破しました。

日本人で良かった。日本語版をプレイして、あのシーンを見ることが出来て良かった。とんでもなくリアルに仕上がったゲームグラフィックと、声を担当する演者の力が1つになった最高のエンターテイメントを魅せてもらいました。

これまでも、アニメーションでは「実写では絶対に描けない物」を描けていたように。映画みたいで良かった、映画に負けていなかった、とかそういう次元ではなく。実写映画では描けないものを、「ゲームでしか得られない体験」をビシビシと体感することが出来ました。

ダイハードマンが抱える様々な物事。吐露する気持ち。感情の在りよう。それを余すことなく表現するグラフィック、そこに載せられるあの声。本物の情念としか思えない圧倒的な迫力。声優さんって、やっぱすげぇわ。

続編が楽しみな理由は、「まだまだ配達がしたい」から

2023年現在、続編の制作も発表されました。トレーラー映像と言うのかな?も発表されていますし、楽しみですねぇ。

物語が良かったから、あの世界がこの先どうなって行くのかを見てみたい、という気持ちもまぁあるんですけどね。嘘偽りない私の本心としては、

また新しい土地で、新しい形で、新しい配達が出来ると思うと…ワクワクします。

これ、本気なんですよ。物語も気になると言えば気になるけれど、「もっと色んな配達がしたいぞ」というこの気持ち。プレイした方は解ってくれるはず。それほどに今作で用意された「プレイ体験」は魅力に溢れたものでした。端的に面白いゲームでした。

PS2の全盛期の頃ですかね?ゲームといえば最高品質のグラフィックこそ至高。感動的な物語で映画のような体験を!みたいな時期が一瞬あったと思うんです。それがあれよあれよと技術革新が進み、CGによる表現はあっという間にリアルを追い抜いてしまった。

ある種グラフィックス表現が突き抜けた今、グラフィック表現をバックボーンとして、逆に「ゲーム体験」こそ重視される時代が帰って来たようにも思います。広大なオープンワールドを進む面白さ、ハクスラ的なゲームとしての面白さ、リアルなシミュレーションとしての面白さ。

そして、配達するという面白さ。

配達という行為は、「待っているひと」に「価値のあるもの」を「届ける」行為。そう考えれば、これが楽しくないわけがないんですよ。あらゆる仕事も、奉仕活動も、こうして記事を書く行為ですら、広義の配達と言えるのかも知れませんね。

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