【夜明け前_人間椅子】夜明けを待つ一筋の希望と、一筋縄では行かない大きな陰

人間椅子

人間椅子という良薬は、時にどこまでも苦し

良薬は口に苦し。

体が元気になるお薬は、苦くて飲むのが大変な時もあるぞ。

本当に自分のためになる「物事」は、時に受け入れ難いものであるぞ。

用法容量を正しく守らなければ、自らを癒すも壊すも紙一重だぞ。

重く、深みのある音楽は、時に自分を癒すけれども、一歩間違えると地の底まで沈んでしまうぞ。

人間椅子と言えば、重厚な楽曲と重厚な世界観ですよね。光輝く表参道ではなく、仄暗い裏道こそが似合う彼らの世界観は、時に世の中の暗部をありありと描くような楽曲を放ちます。

とはいえ、それらは暗部にフォーカスし過ぎることはなく。時にコミカルに、時に劇的に描き、きちんと救いとセットになっていることが主ですから。彼らの音楽を聴いて心苦しくなってしまう、と言った類の楽曲ではないのですけれども。

こちら側の聴き手のセンサーが過敏であったり、あまりにも楽曲の内容に「それ解るわぁ~」と深入りし過ぎるとね。面白い音楽だな~と、笑いごとでは済まされないほどに深い精神世界に埋没してしまうこともあるのです。

更に超個人的な要素もありまして。私の人生の様々な過去と経験と結びついた結果、人間椅子の楽曲という物に色々な刻印が刻まれてしまいました。解りやすく例えるなら、「死ぬほど辛かった時に聴いて音楽は、当時を思い出して容易に聴けなくなってしまった」的なあるあるです。

ちょっとした区切りを迎え。人生の転機を迎え…というか、これを機に転機としたい、という淡い望みもあったりして。そろそろこの曲を、もう一度しっかり聴いて見ようではないか。そういった心持なのであります。

私に夜明けは…来るのか?

人間椅子の長尺曲に外れ無し!

この『夜明け前』は2023年7月時点では最新アルバムとなる『苦楽』のエンディングを飾る、7分を超える長尺の楽曲となっております。

アルバムのエンディングを飾る長尺の曲、というのは人間椅子ではおなじみの「クライマックスを飾る超大作」というポジ。それはもう、良曲を約束された存在ですよね。彼らのアルバムのラストを飾る曲がつまらなかった事なんて、本当にただの一度もありませんでしたよ。

桜の森の満開の下、羅生門、狂気山脈、見知らぬ世界、深淵、今昔聖…ぱぱっと思い付くものだけ挙げて行っても全てが名曲揃い。それはもうこの『夜明け前』もまた、名曲ということですよ。

澄み渡るギター、印象強く差し込まれるベース、地響きのように合流するドラム。もうイントロの時点で掴みはバッチリです。ここから続いて行くリフが重く、素晴らしいからこそ、リフからスタートしたって誰も文句は言わないでしょうが、しっかりとオープニングを演出してくれるこのやり口が、ニクイですねぇ。

彼らのライブを生で浴びたことが有る方ならご存知かと思いますが、生音の迫力はえぐいです。磨き抜かれた技術、練りに練られた音作り、スリーピースという構成も相まって、「個人的ライブの音が凄まじいバンド」では三本の指に入りますね。

鼓膜が割れそうなほどに爆音なのに、全ての音が輪郭まで明確に聴き取れるという離れ技。

色々な、特にバンドの形を取るアーティストのライブあるあるなのですが、どうしても曲が激しいと、最終的に我々の耳に届いてくる音は若干ごちゃっとしてしまうんですよね。何かスゴイのは解る、メロディも聴き取れる、けれどスタジオ音源を聴くようなレベルでニュアンスまで聴き取るのは中々難しいものです。

しっかりと全体の音を届けることを意識したライブとなると、素晴らしい音をしっかりと聴くことが出来るのですが、逆にライブ感やアツさ、エモさみたいな物はひと味足りなく感じてしまったりします。

この相反する両面を完璧にガッチ出来る、恐ろしいバンドなのですよ、人間椅子は。

そんな強烈な音で構成されるこの曲は、メイン部分→テンポを落とした中間部→怒涛の爆裂部→メイン部分へと還り、そしてラストは夜明けを感じさせるような、やや光が見えるような、そんな希望をはらませた音で締めくくられて行きます。

『夜明け前』というタイトルと、歌われる歌詞の内容、そしてラストの音の展開から、希望へ向かっていくような印象を持って聴き終えることになりますが、この曲そのものはしっかりとヘヴィで、ドゥームな雰囲気を纏った、暗くじめっとした楽曲に他なりません。

この楽曲が発表された頃。世の中は感染症が蔓延し、輝く幸せとは対極な空気感が漂っておりました。そんな中で創り出されたこの楽曲が、一抹の希望を振りかけられたとは言え、決して華やかで明るい仕上がりにはならなかったことに、妙なリアルさ、現実味を感じてしまうのです。

夜明け「前」。未だ夜は明けず、闇の中に居る

この『夜明け前』というタイトル。上手いなぁと思いましたよ。夜明けではない、輝かしい朝日でもない。夜明け「前」であるというスタンス。

明けない闇夜はない。

醒めない悪夢はない。

解けない魔法はない。

もうすぐ夜が明ける。

けれど、まだ明けてはいないんですよ!

いつか努力は報われる!と言えば反論の余地はありますが、いつか夜は明ける、というのは絶対に覆らない真理です。

夜明けと言えば、暗い闇夜の状態から明るい朝日が差し込んでいく、辛く苦しい状態が終わりをつげ、希望に溢れる展開が待っている。そんな印象を持ちます。ただし、それは印象であるだけ。夜明けが幸福だとは限らない。幸せが訪れる、と言っているわけではない。

しかも、まだ明けてはいないんですよ!

年齢を重ねて行けば、誰でも「世の中にはどうしようもないことが存在する」ということを、嫌というほど知って行きます。報われるとは限らない。救われるとは限らない。絶対の正解なんてどこにもない。人生はいつかは終わる、言わばバッドエンド確定ルート。

でも、生きるしかない。進むしかない。夜は明けると、光が来ると、そう考えるしか手立てはない。

この楽曲からは、そんな正直な本音を感じるのです。科学や医療は日々進歩し、ハラスメントや理不尽さは解消されるべきとされ、世の中は常に進歩している「ということになっている」。けれども、どこまで行ってもBestはないよね、Betterを探すしかないよね、という逃れられない現実、限界。

そう考えると、夜明けが来るぞー!頑張れば報われるぞー!もう少しの辛抱だー!と、言うしかないのは解っているが、その感情には乗れないかな。そんなひねくれた態度を取ってしまうのです。

この『夜明け前』が発表された時。私の大事なひとに「夜明けは来なかった」ことに、悲しみに暮れる日々でした。来ないじゃんか、夜明け。希望なんてないじゃないか。

それでも、時が流れた今。私には、夜明けは来るかも知れない。

例え私に夜明けは来なくても、私の周囲のひとに夜明けは来るはずだ。

ひいては、世の中には常に夜明けは来るのだから。

それで良いのか?そう思うしかないのか。

そう思うことが出来たなら、新しい生き方が見えるだろうか。

こうしてまた、人間椅子という良薬が「癒し」と「苦味」の狭間でうごめくのでした。

【人間椅子についての記事はこちら】

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