後発のMVによって、楽曲の世界が補完されていく
自分のような古い人間からすると、MVという物の存在意義はあくまでも販促というイメージを持ってしまいます。
新しい曲を作って、『広告』のようにアピールする目的でMVを作成する。あくまでも宣伝。それをきっかけに広く知れ渡り、盛り上がり、楽曲やライブが盛り上がって…というイメージ。
だから、楽曲を発表してから相当の時間が立ってからMVを発表するという流れが今一つ馴れない。けれども、Rammsteinを見ているとその思い込みが払拭されていくのを感じる。
最高の楽曲発表の後に、MVによってその楽曲の表現がMAXに到達する流れ。
もはや映画の予告編…いや、本編にも見えてしまう超絶MV、RammsteinのAdieu。いやぁ、映画本編の公開が楽しみですね…え?そんなのない?楽曲のMVでしかないの?これ、音楽のMVに留めて置けるクオリティじゃないっすよ。
壮大過ぎる映像と、それによって再認識させられる音の凄み
不穏な重低音、DEUTSCHLANDから続く「赤い柱のような光」。Ich willのMVを思い出させる、何やら武装してどこかに襲撃をかけるような雰囲気。もうこの時点で大作の予感しかない。一体これから何が起こるんです?
この場所、一体どこなんですかねぇ?古くからの建物?博物館とか神殿のようなイメージ?海外のこういう場所、ホントに凄いですよねぇ。いちいち「映え」が半端ない。
不思議と海外の「古代建築」って、現代ともよくマッチングする気がします。こうした建物と重火器のアクションが「映える」感じ。これが日本の古代建築となると、神社仏閣の風景と現代の重火器…絵的なマッチングはイマイチ。いや、良し悪しではなくてさ。とにかく欧米の「古」と現代のマリアージュの破壊力はやばみ、ということ。
てかね、メンバーのハマり具合が毎度のことながらずるいって話ですよ。この方々、バンドですよ?アーティストですよ?楽器演奏者とか歌い手なんですよ?役者さんではなく、あくまでもギターのリヒャルト!キーボードのフラケ!ということなのにさ。ラムシュタインを知らない方に、ハリウッドでお馴染みの役者さん達ですよ~、と紹介しても、バレないでしょう。
リーダー格でタバコに火をつけるリヒャルト、身長2m超えでガトリングガンを寡黙に打ちまくるオリバー、明らかに「ヤバい奴」なリンデマン。
もう配役というかなんというか、世界観が解釈一致過ぎる。
繰り返しますが、この方々はバンドです。アーティストです。
そして始まる本編(楽曲のことね)。イントロの印象的なピアノ的なメロディ。綺麗、ではあるけれども明らかに不穏な雰囲気。そして放たれるラムシュタイン必殺のギターリフ。超絶シンプル、なんだけれども超絶カッコ良い、練りに練られた手数の少ない必殺の音達。
そして綴られて行く映像。映像からひしひしと感じる「予算額」。一体どれだけの労力が掛けられているのだろうか。一つ一つのシーンが細部に渡る拘りを見せ付けて来るし、物語・エンタメとして映像だけで完結している。
映されて行く映像が語って行く物語も、実に劇的だ。はっきりと「〇〇である」と断言するような内容ではないが、多くのメッセージを受け取らずにはいられない。
そもそも、楽曲のMVなのにエンディングが存在している異常事態!
DEUTSCHLANDの時もありましたが、まるで一本の大作映画を見たかのよう。そもそもが音楽家達の犯行なわけですから、エンディングテーマも含めて最高でしかないわけですよ。
元の楽曲自体は以前から発表されていたし、アルバムのラストを飾る存在として、確かにただならぬ雰囲気はありました。けれども、こうしてMVが作られ、MVのオープニングの中の「ここぞ」という場面で放り込まれた瞬間に、このAdieuという曲の真価がえげつないほどに発揮されていく。
我々一般人には想像もつかない脳の使い方をして、果てしない時間をかけて創作され、多くのプロ中のプロ達の手を渡って作られている楽曲達。そりゃあ「良い音楽」ということくらいは素人の自分にもわかるけれど、そこに込められた無数のニュアンスを、果たして我々リスナーはどこまで受信出来ているというのか。
Adieuという楽曲に込められた様々なもの。これをMVという映像の形としても表現することで、情報発信の手数が増える。「伝え方」が増える。聴覚からだけではなく視覚からも芸術を打ち込んでいく。その結果として、自分のような一般人にも「元々込められていたニュアンスが、より多く届いて行く」という仕組みではないだろうか。
MV(映像)も駆使しなければ到底伝えきれないポテンシャルを、楽曲(音)が秘めている。
エンターテイメントっていうのは本当に不思議だ。そして面白い。
そして、Adieuという楽曲にこめられた「ナニモノカ」の正体とは?
果たして、このMVでは最高の楽曲に載せて、ただならぬ世界観が表現されていく。明らかに意味ありげな様々なシーン。タイトルのAdieuや歌詞の内容から、ある種の別れを告げて行く曲だということは明らかだ。
発表当初から不穏に思っていた。この曲を最後に活動を終わりにするよ?なんて言われたとしても違和感のない曲だったから。共に過ごした時間は素晴らしかった、と言いながらも別れを告げて行く姿(楽曲)は、本来の意図に関わらず、私の心を強く強く鷲掴みにしていた。
別れとは誰かの事か?
自分自身のことなのか?
あるいはこれまで過ごしてきた時間?時代のことなのか?
間違いないのは、「これまで」が幸福であったこと、そして「これから」もナニカは続いて行くこと。
結局どう受け取って、どう解釈して、どう咀嚼するかは受け手次第ですからねぇ。ちなみに、そもそもこのMVには様々な要素も隠されている!なんていう話もあるそうで。公式解釈としても、様々なものがこめられているのでしょう。
個人的な話になりますが、ちょうどこのMVが公開された当時、夢を見たんですよ。当時からすれば一年前くらいになるのかな?病気で亡くしてしまったパートナーがひょっこり姿を現す夢。それも満面の笑顔でさぁ…感情がぐちゃぐちゃになりましたよ。
夢は、当然覚めますよね。現実の「別れの瞬間」があったように、夢さえも覚めていしまい、別れ、終わりの瞬間がやって来る。けれども、夢が終われば現実が始まって行く。新しい朝が、新しい一日が始まって行く。そうして私の人生も、えっちらおっちらと、もう少し続いて行くようです。
いつの日も、「これまで」が終わり「これから」が続いて行く。そういうことなんでしょう。
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