アルバム『苦楽』に収録された、彼らならではの空気感を持つ名曲
2023年6月現在に於いては最新アルバムとなる『苦楽』からの最新MVとも言えるこの『杜子春』。そもそもアルバムタイトルが『苦楽』という時点でかなりのパンチ。
人生楽あり苦あり、とはよく言われるけれど、活動30年を超え、決して華々しく売れて来たわけではない『人間椅子』という存在が放つこの言葉も重みは何とも言えない。
しかし、前作『苦楽』の発売から2年が経とうとしているのか…個人的にこの数年間は暗黒時代であったこともあって、もう遥か長きに渡って新譜が出ていないような錯覚を感じてしまう。
新譜発売~2年が経過、というのはベテランバンドとしては全く特異な状況では無いものの、3年に2枚程度のペースで発売して来た彼らにとってはやや遅めのペース。新譜を期待したいところではあるけれど…どうにも複雑な想いに駆られてしまう。この辺りは後述。
前作となる『新青年』の『無情のスキャット』が海外に於いてもバズりまくってからの新譜。海外ライブを成功させたのも束の間、世界中を覆ったコロナ禍の闇に包まれたのは人間椅子もまた同じくなのでしょう。
活動として上手く行かないこともあったでしょう。制作活動やその創作にも影響を与えたでしょう。MVが作られリードトラックとなったこの『杜子春』には、世の中の暗い雰囲気をそのまま纏った様な空気感があります。もちろん歌詞は現在の世の物ではないにしろ、何か通じる物を感じてしまいます。
ラストの『夜明け前』では明るい光も見えそうな気もしつつ、彼らの音楽性に相応しく、じっとりとした黒いオーラをしっかりと纏った曲、と感じるの私だけでしょうか。彼らの楽曲としては極々平常運転ではありますが、MVが作られる曲としては、少し珍しい気もします。
何か暗い書き出しでごめんなさい。個人的な記憶に引っ張られ過ぎですね。
HR/HMをもって、陰鬱とした空気感から仙人の御業まで表現し切る
この『杜子春』の楽曲の内容はと言えば、正に人間椅子!と言った魅力を全部載せした、ニンニクマシマシな特盛曲となっております。
まずはこのイントロ。アコギの音色は爽やかでありながら、どこか哀愁を感じるブルージィな音。そこへ合わさるのがオープニングを印象付ける高音のベース。檀家様であれば、この時点で「いいよいいよ、それよそれ!」となっておられることでしょう。
珍しいパーカッションなんかも使いながら、やや軽快な音で幕あけて行く…かと思いきや、待ってましたの1音半下げクソ重リフが炸裂します。
人間椅子の楽曲の旨味の7割方は、三位一体で奏でるリフが占めておりますのでね。
ミドルなテンポで重くずっしりと響くリフはどこかドゥーミーで暗ま湿り気のある空気でこちらを包み込んで来ます。そこへ来て「おとうさ~ん」の歌い出しですからね。この日本独自の、昭和よりも更に以前を彷彿とさせる、白黒じみた暗い世界観。さすがですよ。
サビに至っても、あくまでもシンプルに重く響き渡るメロディ、杜子春!とタイトルを連呼してしまうというストレートな歌詞。どこまでも心地よい低音を提供してくれます。
ここからの急激な場面展開は人間椅子の十八番、というよりもHR/HMにたくさん存在する様々な様式美のひとつなのでしょう。どこか陰を纏う空気感はそのままに、うねる低空飛行のようなサウンドで疾走をキメてくれます。
ここから雲が流れて光が射すかのような、少し希望が見えるような、けれども見えないままであるような。あくまでも陰鬱な世界観を保ったまま、再びメインのメロディへと還って行きます。
そして更に更に、ここから全く別の展開へと流れて行きます。雰囲気も一転、雲を突き抜けた空の上へと飛び出したかのような光溢れる雰囲気と、輝くようなギターソロが繰り広げられるのです。
まるで原点とした『杜子春』の物語さながらに、様々な情景が描かれ、展開して行き、結末を迎えて行くというこの展開。文学世界とHR/HMを表現させたら、人間椅子の右に出る物は居ないでしょう。
元々、『杜子春』という物語を知っているほどに知識人ではありませんから。この楽曲を聴いて興味を持ち、はてどんな物語かと調べて見れば納得。
ラストの雲の向こうまで輝くようなギターソロの雰囲気と「仙人」という概念とのマッチ感。
ギターでここまで概念を表現出来るのだな、という驚きもありますが、逆に楽曲から概念を想起・再生することが出来る人間の脳の仕組みというのも、実に興味深いと感じてしまうのです。
この杜子春という楽曲と、私の人生との交差点
ここからは完全なる個人的な話になってしまいますが…
この『杜子春』はアルバム『苦楽』に先行して発表されました。発表当時、私の人生を共にした伴侶は大病を患い、いよいよもう先は無いと覚悟を決めなければならなかった頃合いでした。
私と共に人間椅子をこよなく愛していたので、新曲も新譜も楽しみにしていたのですが、病の力は恐ろしく、この頃は既に音楽を楽しむ余力さえも絶え絶えとなっており、ほどなくアルバムが発売されることを待たずしてこの世を去ってしまいます。
そのタイミングで発表された楽曲がこの『杜子春』とは…なんとも運命を感じてしまいます。
両親より先立つことを何よりも苦しんでいた心中の中で、「おとうさん」「おかあさん」とストレートに呼びかける歌詞。「生きるも地獄死ぬるも地獄」という言葉は、残された時間と目の前の苦しみに悶える心にどれだけの影響を与えたでしょうか。
人間椅子を愛していたから、新曲であるこの曲もよく聴いていただけなのか?
歌詞や内容に引き込まれることでよく聴いていたのか?
この曲が与えたのは、苦しみだったのか、共感のような安らぎだったのか?
それを直接問いただすことも出来ず、今更問いかけることも出来ず。私に遺されたのは独り孤独な残りの人生と、『苦楽』というアルバム。様々な思念が渦巻く中で、この『苦楽』や人間椅子の楽曲全般から遠ざかってしまい、もうすぐ二年。
人生楽あり苦あり。明けない夜はないというけれど、本当かな?どんなものにも終わりは来る。それを目の当たりにしてしまえば、希望の言葉をそう容易に受け入れることは出来ないもので。
正しくは「私の夜が明けずとも、世界の夜は必ず明ける」ということなのだろう。はてさて、私の夜明けはいつになるのやら…
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