【廃屋_SEX MACHINEGUNS】ギターの音色ひとつでここまでの表現が出来るのか…

SEX MACHINEGUNS

傑作アルバムの締めくくりに相応しいエンディング

SEX MACHINEGUNSの最新アルバム「地獄の暴走列車」。そろそろ全人類の半分くらいは聴き終えた頃でしょうかね。実に、実に良いアルバムでした。私如きが予想するのもおこがましい限りなのですが、その拙い予想を遥かに超えた、良いアルバムでしたね。

以前、暴走列車の全曲について感想を書きなぐるなんてことをしたのですが、やはりこの「廃屋」については、個別に書きたくなってしまいました。

それだけにこの廃屋という曲。良かった。え?まさか自分だけ?んなこた無いよね?

そもそもの「音」や「曲」としても、非常に耳心地が良いのです。

ギターサウンドだけでクライマックスや感動のエンディングを感じさせる巧みさ。

歌詞に於いてはマシンガンズ節を大いに交えたいつもの仕上がり。

そして、その奥に込められたメッセージはANCHANGだからこそ込められる唯一無二の物。

まぁつまりはいつものSEX MACHINEGUNSの必殺曲というわけですよ。これまでだって、「そこにあなたが…」だったり「刺身と山葵」だったり、彼らのしっとりテイストの名曲はたくさんありましたからね。

中年を越えた者だからこそが感じるこの「哀愁」。是非中年の皆さんとこそ、共有したい。

何よりも秀逸で絶妙なギターサウンド

突然ですが、皆さんはギターの音色だけ泣けますか?私は泣けます!メタル中毒者の症状なのかも知れないですが、最高の爆裂ギターソロであったり、極まった泣き/鳴きのギターだったり。ただただ圧倒的な音が琴線を往復ビンタしてくる、ということは良く有りますよね?有るんです。有るってことで話を進めます。

この出だしのギター、めちゃくちゃエモくないっすか?初めてこの曲を聴いた時に、この音だけで「うわっ!」と思いましたよ。音だけでエンディングが始まるぞ!と宣言されたかのような表現力。

そこから、サビにも用いられるメインのメロディがバンド全体で奏でられるわけですが、これがまた良き。ホントに良き。もうこの時点で良い歌だね!と思ってしまうのです。

そしてその後に用意された一瞬のブレイク部分。メロをすっと後ろに下げて、刻みながら余韻を持たせるこの部分。ワンテンポ置いてから本編に入って行く流れ。こういう細かな所にも隙が無いですよ。あまり意識しないこういう部分があるからこそ、楽曲全体が心地よく摂取出来るんだな!ということを、最近強く痛感しました(別バンドの曲で何かあった)。

とにかく、このスタート~0:45のオープニングだけでも完成されているのです。

もちろん忘れてはならないのはギターソロパート。これが美味しくなければメタルじゃない!わけですが、もう言わずもがなこちらも最高なのです。

ソロパートに入る前にもう一度訪れる、あのオープニングで聴かせてくれた感動の音。ここに来る頃には楽曲を聴いているので、「感涙不可避の歌」であることを覚悟しているわけですから、そこで再度あのサウンドを聴くことの効果といったらないのですよ。

うわ~、これだよ!この音だよ!と我々の中に熱い物がこみ上げたところに繰り出される、必殺のギターサウンド。紆余曲折を描くように助走を付けて行った先に飛び出すギターソロ後半は、どこまでも突き抜けて行くような爽やかなサウンド。

ここに至るまでの歌詞の影響、楽曲が発売されたこの季節も相まって、心に映るは晴れやかな春の青空。心地よい風の中、車に揺られる感じ。古い神社の静かな境内に薫る花の薫り。これまでに何度も経験して来た、新しい季節が始まって、新しいステージが始まるような、晴れやかに、何かにワクワクするような気持ち。

こんな「言葉にすることもままならない」中年の心の機微を、ギターの音色で完璧に表現し切る。とんでもないことですよ、これ。「俺の技術は凄いぜ!その目に焼き付けろお前達~!」みたいな若いギターヒーローには決して出来ませんよ。

ギターの技術も、音楽センスも、人生の経験も含めて。あらゆる物に円熟味を身に付けた、ある種極まったひとにしか出せない音。これはもはや神々の犯行ですよ。

苦労の絶えない中年にこそ刺さりまくる強烈なメッセージ

中年と一括りにすることは難しいけれど。あんなことやこんなこと、色々な苦労を経て、強烈な挫折というか、消えない傷もしっかりとこさえて。ひとつの環境下でひとつの物事に邁進するというよりも、大きな環境変化を幾度となく経験して来たようなひと。

そんな方には、この歌詞が刺さらないはずがない。こみ上げないわけがない。そして、様々な変遷を経て25周年を迎えたSEX MACHINEGUNSやANCHANGもまた、歌詞の世界とリンクしないわけがないのです。

あくまでもひとつのケースとして私事としてとらえて行きますが…

自分が生まれた場所、いわゆる実家。もうぼろいですよ。昭和に、田舎に建てられた安い一軒家ですよ。廃屋とまでは言いませんが、ボロっちぃ家になってしまいました。生まれた頃はボットン便所でしたしね(通じるか否かで世代が解る)。

そんな場所で生まれたんですよねぇ、自分。新築に近かった家がそんな姿になるんですから。その時に生まれた自分もまた、多くの年月を経て、古ぼけて、ガタが来て。ちょうど最近、老いた親にも色々あって。

我々中年のひとりひとりに、それぞれの「数十年」がありますよね。思い出しますよ、その数十年を。良いことも悪いこと、出会ったひとや物事も。本当に色々ありました。「ひとつの時代」と言えてしまうくらいの年月を経て、自分も、世の中も、色々な物も変わって行った。確実に「ひとつの時代」は終わっているわけです。

しかし、我々中年はまだ「終わり」というには早過ぎる。まだもうちょっと先があるんです。やれやれ終わったよね、と廃屋に腰を下ろすわけにはいかない。まだまだ、生きなければいけない。

まだ、我々は終わることは出来ないんだよ。そうだ、リフォームしよう!

伝われこのニュアンス!若さ溢れて突き進むことも出来ず、終わりを見据えてゆっくりと歩くことも出来ない我々「The 中年」。これまで積み重ねて来たもの「だけ」で戦い続けられるわけでもないですもんね。

「芯」のようなものは大事にしながら、時にはパーツは全部組み替えるくらいの勢いで。形を変えて、再構築して、リフォームしながら。後半戦を戦い抜かなければならないのです。辛いことも多いけれど、新しい物にワクワクするような、あの頃の気分も忘れずに。

少なくとも、我らのSEX MACHINEGUNSはまだまだやるぜ!と言ってくれているのでね。存分にジャパメタの力を借りながら、中年は中年らしく、よろしくやって行きましょう。人生をまだまだ楽しんで見せてやりましょう。

【SEX MACHINEGUNSについての記事はこちら】

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